少年はおどろいた。
野菜なんて絶対食べられないと思っていたからだ。
これまで母親は野菜を食べられるようにと工夫して様々な料理を作ってくれた。
出来る限り野菜を刻んだり、すり潰したりしてもだめだった。
どうしても野菜特有の味がするのだ。
でもギョーザのボーイが食べさせてくれた餃子は、野菜が入っていることなど微塵も感じさせなかった。
気付けば3ヶ月で食べる量の餃子を平らげていた。
「どうしてあんなに食べられたんだろう」
習い事のそろばんの最中、野菜入り餃子のことが頭から離れなかった。
無意識に食べた餃子の数をそろばんではじいていた。
その後、いつもなら寄り道はせずにまっすぐ家へ帰るのだが、その日はあの店へ足を運んだ。
どうしても自分が野菜を食べられた理由を知りたかったから。
店へ入るなり、ギョーザのボーイは「まぁ包みな」とだけ言って姿を消した。
厨房には大量の肉餡と皮が用意されていた。
少年はひたすら肉餡を皮に包む。
自分の手にある肉餡にはたくさんの野菜が入っている。
肉と野菜が混ざり合ってお互いが美味さを高め合っていることに気付いた。
肉だけではあの歯ごたえと食べごたえは無いのだろう。
それに加え、皮のもっちりとした柔らかさ。
肉と野菜と皮の3者が協力し合い、互いを引き立てている。
「そうか、そういうことか」
少年はすっきりとした面持ちでそうつぶやいた。
今まで野菜が食べられなかったのは、自分自身を野菜に投影していたからだ。
1人では何もできない。
そう思っていた。
メイン料理に使われるのは大抵、肉か魚だ。
野菜は脇に添えられるだけ。
そんな野菜を見ては、まるで何も出来ないで隅でこっそり潜んでいる自分のようだと嫌悪していた。
しかし餃子は違う。
肉が無くては餃子では無いし、野菜が無くては餃子では無いし、皮が無くては餃子では無い。
肉があるから野菜と皮の良さが分かるし、野菜があるから肉と皮の良さが分かるし、皮があるから肉と野菜の良さが分かる。
1人だけで上手く出来る必要はないことを餃子から学んだ。
気持ちがスッと楽になった。
少年の両親は結婚してから長年子宝に恵まれなかった。
あらゆる治療や療法を試し、やっとの思いで生まれたのが少年だったのだ。
その分両親から少年への期待とプレッシャーはとても大きく、それが少年自身の過度な過小評価と自己嫌悪へと繋がっていた。
しかし餃子と出会ったことで野菜と自分の見方や捉え方が変わり、すべてから解放された。
どうせだめだと閉ざしていた心の扉が一気に開いて、今までに感じたことのない心地の良い空気がフワッと流れ込んできた。
「ボクはボクであればそれでいいんだ。
ボク一人ですごくなる必要なんてないんだ」
嬉しさが込み上げてきた。
その後毎日餃子を拝み、餃子に感謝をし、餃子を崇拝している少年の様子を両親は不安と悲しみが混ざり合った表情で見つめていましたとさ。
おしまい
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